東日本大震災を考える

この春、
「被災地」に行ってきました。

宮城県
南三陸町
気仙沼市

ニュースではよく聞く名前だし、
知ってはいたけれど。。

1年前、
あの震災が起こって、
ずっと
一度は足を運んで、
この目で見て、
肌で感じたい
と思っていた。

去年の夏、
元職場の先輩が
ボランティアで瓦礫除去に行くと聞いて
すごく尊敬した。

そして、
今年に入って、
思いがけず
こういう機会に恵まれて、
すぐに行く事を決めた。

それを話すと、
実際に身内に被災者の方がいたりする人には
「軽はずみな気持ちで行くんじゃないよ」
という顔をされた。

決して軽はずみな気持ちではないけれど、
そう思う気持ちももちろん
理解できる。

そして、
こうやって
ブログに書く事も
躊躇ったりもする。

でも、それでも、
私は
同じ国で起こっていることだけど、
実際に見ない限り、
本当の事が分からない
って思ってしまう人間なんだと思う。

そして、
せめてそれをこうやって
伝える事が
現地に行ってきた今の自分に
できる事だと思うんだ・・・。


去年の春先は、
計画停電で
電気が使えない、という経験をして、

照明だけでなく、
身の回りの多くのものが
どれだけ
電気に支えられているか
という事を知った。

自分の中に
節電という感覚が
自然に入ってきた。

トイレットペーパーなども
店からなくなって、
驚いた。

ガソリンを入れるのにも
皆必死で、
長蛇の列が続いたりした。

学校の給食も
すごく少なくなったりした。

お花見や夏の花火大会も軒並み中止。

そんな風に
地震の影響を受けていたわけだけど。

だんだん、
ニュースも減ってきて、
世の中(関東圏)からも
私の中からも
少しずつその記憶が薄れてきて・・・。

でも、
いけないという思いもあったし、
このことは
絶対に子ども達に伝えたい
って強く思っていた。

けど、
実際に見ていない自分には
何も言えないなって
思っていた。


そんな中、
行った
宮城県は、
本当に自分の想像を超える状況だった。

1日目に行った
仙台は
正直言って、
ん?どこが被害を受けたの?
もう復興したのか??
という印象だった。

建物もしっかりしてるし、
どこもヒビいったりしてるわけでもない。

むしろすごく元気な印象で、
「ここ東京だよ」と言われても
あ、そうなのかな?と思ってしまう程。

こういう事を知れたのも、
実際に足を運ばないと分からない事だった。

無知な私は
東北全体が
すごく被害に遭っているのだと思った。

でも、実際は全然違ったりする。

でも、「東北は今大変だから」なんていう
現実とは違うイメージで
旅行を見送ったりする
と、
やっぱりすごく経済的な損失があるわけだ。

実際に
現実を知るっていうのは
こういう事なんだなって思った。


だからこそ、
次の日
南三陸町やそこに行くまでの道のりは
衝撃的だった。

仙台を抜けると
だんだん
畑や田んぼが広がっていて、
山合いの道もあった。

途中、
日本三景の一つ、
松島も通った。
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ここは島々が守ってくれたと言われているらしく、
他の地域に比べて
被害は少なかった
という説明があった。

とは言っても、
この近くで
陸に打ち上げられ
今もそのままになっている
小船などがあって、
ニュースで見たものが
現実となって
目の前に現れたようで
ゾッとする思いだった。

そこからバスは進み、
森林がある地域に入ると、
木のだいぶ上の部分まで
木の色が変わっていた。
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塩害だそうで、
こんな高い位置まで
水が上がってきたのか・・・
と思った。

それでもまだ
実感が湧かなかった。

でも、その道を大きく曲がって、
鉄橋をくぐると・・・

町が・・・
ない・・・・・。

本当に丸ごと、
嘘のように
そこに確かにあったであろう
町が
何もなくなっていた。

暫く言葉が出なかった。

この南三陸町は
町ごとまるごと
津波で流されてしまったという町。

防災センターで
若い女性が
ずっと避難を呼びかける
放送をされていたという
あの町だ。

そこが
もう1年経つというのに、
何も進んでいないように見えた。

いや、
膨大な量の瓦礫を
やっとの思いで
ここまでどけて
更地の状態にしたのだろうけど、

その状態が余計に
この町から
生命の息吹を取り除いてしまったように見えた。
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それでも
そこには、
ここに住んでいたであろう
人達が
車で沢山やってきていて、
状況を見ているようだった。

ボランティアに人達も来ていて、
バスでこの町を通り過ぎるだけの私は
とても申し訳ない気持ちになった。

それにしても
驚いたのは
この町の規模だ。

町が丸ごと流されてしまった
と言える位
本当に小さな地域だった。

日本の
こんな事がなかったら、
多分私がずっと知ることのなかった
町のことを

きちんと我が事として
報道する
日本のマスコミを
私はすごいと思った。
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こんな状況だったけれど、
ひどく感銘を受ける事があった。

こんなに被害を受けたのに、
町の至る所に、

こうして来た私達に向けて、
そして
日本全国
世界中に向けて、
この町の人々の
メッセージが掲げられていた事だ。
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「ありがとう」
小学校の壁には
「皆さんにしてもらった事は
決して忘れません。」
「日本中の人々にしてもらった事を
忘れてはいけません」
といった趣旨の事が
大きく掲げられていた。

家族も
住む場所も
友達も
学ぶ場所も
働く場所も
失った人達も沢山いるだろうに、

こんなに辛い思いをしたのに、
「ありがとう」
って言えるなんて、

この町の人達は
一年間
どんな風にしてきて
この時を過ごしてきたのだろう、

胸が苦しくなった。


そして
しばらく走ると
気仙沼市へ。

現地の男山酒造の方が
説明をしてくれた。

気仙沼と
南三陸町は
被害の受け方が大きく違うということ。

南三陸町は、丸ごと町が流されてしまって、
もちろん大変だが、

気仙沼は
甚大な被害を受けた地域と
一本の境界線のように
全く被害の受けていない地域が
同じ市の中に
存在する とのこと。

こちらからすれば、
被害を受けない地域があったのは
まだ救いだったね
なんて思ってしまうのだけれど、

実際にその地に身を置いて
考えてみると、

同じ市の中で
“格差”が生まれて、

同じ気持ちで
復興に向かえないという
大きな問題にぶち当たるという事が
よく分かった。

これも
行ってみて、
その地に身を置いて、
例えば自分の市がそうなったら・・・
なんて考えてみないと
分からない事だった。

この市は、
大きな船が打ち上げれた市。
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この船を撤去するか
記憶を風化させないモニュメントのように残すか、という
問題があるそうだけど、

目の前で
自分の家を壊されるのを
見た人々にとっては、
もう二度と見たくないものなんだ
といわれると、
そりゃあそうだ・・・とも思う。

この船の周りには
基礎しか残っていない
元・家があって、

ここはきっと玄関で
ここは多分お風呂場だな、
なんて想像するのも
切なかった。

お風呂の壁のタイルだけが
残されていて
まだ仄かにだけど
生活の香りがするのが
何とも言えなかった。
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それから、
もう一年が経つのに、
下着や靴下が
泥にまみれて地面に埋まっていたりして、
これは確実に誰かが履いていたもので、
どういった経緯でここに辿り着いのだろうと思うと・・・。

洗濯物が飛ばされて?
家の箪笥から流れ出て?
もしかしたら、
流されている間に
水の勢いで脱げてしまって?

などと考えると
たまらなくなった。

ここは
漁業の町で、
他の被災地と比べると、

中心地の仙台などからも
独立した
経済構成を保っていたとの事。

だからこそ
今となって問題があったりして、
復興の足かせになっている部分もあるのだと
言っていた。

一番怖いのは
なかなか進まない復興に
人々の心が疲れていってしまう事なのだと言っていた。

そして
とても言いづらそうに、
「国の方針がなかなか決まらず、
動くにも動けない」
と言っていた。
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それから、
地盤沈下をしてしまって、
まず盛り土をしなくちゃいけなくて、
その土はどこから持ってくるのか
なども問題のようだった。

地盤沈下してるせいで、
なかなか水もひかないそうだ。
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そして、
乱開発を防ぐために、
2年間は開発ができないそうで、
一年経った今も、
店も壊れたままだったりして
気が遠くなるようだった。

それでも、
商店街が屋台村として復活したりしていて、
人々の営みの小さな灯りのようで
とても頼もしかった。
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それでも、
やっぱり
とても生活できない状況。

でも、
橋を渡ると
同じ市とは思えない
「普通」の街並みが広がっていて・・・。
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もちろん、
ここにも水は来て、
だいぶ浸かったそうだけど、

それにしても
この
差はなんだ
と思った。

同じ街の中で
これだけ差があると、
皆で気持ちを揃えて
っていうのは
本当に難しいだろうな
と思った。


そして最後に。
この旅で出会った人達が
切実に訴えていたこと。

それは

「お願いです。
私達の事を忘れないで下さい。」

という言葉でした。

本当にこれが
今の
この地に住む方々の
痛切な思いなのだと思いました。

私は
明日、
子ども達に
私が見聞きした事を
伝えようと思います。

どれだけうまく伝えられるか
分からないけれど、
これが私に託された使命のようにも思う。

そして
あの子達なら、
きっと何か
感じ取ってくれると思う。

そう信じて。
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by eripan0504 | 2012-04-08 23:51 | 世の中のこと
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